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市長室からこんにちは(平成26年1月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月1日更新

 東京霞が関の外務省の敷地には陸奥宗光の銅像が立っています。明治20年代後半、外務大臣として、明治政府の積年の悲願であった条約改正を成し遂げた陸奥が、最後に命を削った一世一代の大仕事は日清戦争前後の外交交渉でした。

 日清戦争は、イギリスとの同盟に助けられた十年後の日露戦争とは違い、日本が独力で遂行した際どい事業でした。開戦のタイミングも戦争終結交渉でのかけひきも、陸奥が中心となり苦心してひねり出したものです。

 下関条約の締結により戦争は終わりましたが、その直後にロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉が起こりました。講和の条件として清国から譲り受けることとなった遼東半島をもとに戻せという要求です。「誠実で友好的な勧告」とは言いながら、実際には武力を背景にした脅しに近いものでした。さまざまな議論と交渉の結果、日本政府はこの要求を丸のみし、遼東半島を返還することにしました。

 戦死の悲しみと重税の苦しみに耐えた末の勝利だっただけに、大きな屈辱を味わわされた大衆は弱腰外交と非難しましたが、清国との激戦で疲弊した日本に、この上ヨーロッパの強国を敵に回す余力は到底なかったのです。

 その間の思いを『蹇蹇録(けんけんろく)』という回想録に「他策なかりしと信ぜんと欲す」と述べています。「誰がやっても他に良い方策はなかったと信じたい」という意味です。あらゆる情勢を分析しつくし、すべての可能性を想定しぬいた上で最善の道を選択したのだという揺るぎない信念がにじみ出ています。

 私自身においても、今後の市政運営の中で、市民から全面的な理解や賛同を得られないことを覚悟しながら決断しなければならない局面もあることでしょう。しかし、いかなる場合も「他策なし」と自分自身が確信しながら前進したいと思います。そのためにも、あらかじめ様々な意見を聴き、幅広く議論し、熟慮を重ねた上で判断することが不可欠であると考えています。