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市長室からこんにちは(平成27年10月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月1日更新

 日本絵画史の最高峰といえば画聖雪舟です。現在国宝に指定されている絵画159点のうち、雪舟の作品は最多の6点を数えます。あの狩野永徳や尾形光琳ですら2点に止まることからも別格ぶりが伺えます。幼少の頃預けられた寺で修行せず絵ばかり描いていた罰として本堂の柱に縛り付けられ、こぼした涙と足の指で床に描いたネズミが今にも動き出しそうだったという「神話」もうなずけます。

 抜群の評価と名声は国内にとどまりません。今からおよそ60年前、世界平和評議会が世界十大文化人を選出した際、モーツアルト、ドストエフスキーなどの巨匠が名を連ねる中、東アジアからただ一人選ばれたのがほかならぬ雪舟でした。

 雪舟が頭角を現したのは禅と水墨画の本場明国への遊学中です。栄西や道元も学んだ五山の一つ寧波の天童寺に入るや、1年足らずで禅堂の首座に進みました。後年会心作に「天童第一座雪舟」と自署した所以です。また、首都北京の礼部院中堂の大壁画制作を任され、並みいる宮廷画家たちも顔色を失う見事な龍を描き上げました。近代以前の日本は中国と比べて政治、文化とも小国の扱いでしたが、数百年に一人、大陸に君臨する帝王や大家を感服させる傑物が現れています。雪舟は、聖徳太子、空海、大久保利通といった巨人とも肩を並べる存在といえます。

 帰国後諸国を流浪した雪舟が深い足跡を刻んだ町が益田です。作庭の名人でもあった雪舟の四大庭園のうち、医光寺と万福寺の二つの庭園があり、時の領主益田兼堯を描いた肖像画は、今や国の重要文化財です。現在この絵を収蔵する市立雪舟の郷記念館は、雪舟終焉の地と伝わる東光寺(現在の大喜庵)に隣接しています。四季折々の山河を探究する旅の最後にたどり着いた情景が、東光寺から一望する益田平野の豊かさと湊のにぎわいだったのかも知れません。

 この10月、雪舟ゆかりの自治体の首長が集う雪舟サミットが当市で開催されます。雪舟の偉大さを再確認する機会としたいと思います。