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市長室からこんにちは(平成27年1月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月1日更新

 元日生まれとされる偉人の一人に聖徳太子がいます。最近では架空の人物とする説もあるものの、古代日本最大の巨星であり、日本史全体を通しても圧倒的なその存在感は実在の他の英雄たちを寄せ付けません。

 平成より前に物心ついた方なら、聖徳太子のものと伝えられる厳かな肖像の一万円札は今なお記憶に鮮明でしょう。昭和5年に百円札に登場して以来、昭和59年に福沢諭吉の一万円札が発行されるまで、ほぼ一貫して最高額紙幣の顔であり続けたところに格の違いを感じます。

 確かに、聖徳太子の功績は際立っています。19歳の若さで摂政となり、内政・外交とも旺盛な意欲と才気を発揮しました。冠位十二階により能力本位の人材登用の道を開き、十七条憲法において公務に就く者の心得を説くなど、後の律令制につながる行政機構の形成を強力に推し進めました。遣隋使に託した「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まる国書は、東アジア随一の超大国に対して、後進の島国でありながら対等な地位を正面から主張したもので、貴公子らしからぬ肝の太さが読み取れます。

 また、大陸伝来の仏教をいち早く取り込み、興隆に導いたことから、日本仏教の祖とも評されます。建立した多くの寺院の中でも、法隆寺は現存する木造建築物として世界最古を誇り、周辺の建造物とともに世界遺産に登録されています。

 一度に十人の話を聴き分けたという伝説もよく知られています。超人的な理解力と記憶力をうかがわせる逸話ですが、私としては、意思決定に際し多くの人の意見に耳を傾けたこと、対立する意見の集約と錯綜する利害の調整に心を砕いたことを物語る一種の比喩と解釈したいと思います。付け加えるならば、市政運営にあたり常に心がけている「対話と協調」の精神も、さらには今後の益田市発展のための道筋も、すべてあの十七条憲法冒頭の一節「和を以って貴しと為す」に尽くされているようにも感じるのです。