ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 市長の部屋 > 市長室からこんにちは(平成26年7月号)

市長室からこんにちは(平成26年7月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月1日更新

 7月は英語でJuly(ジュライ)と言います。紀元前100年(一説には紀元前102年)の7月生まれだった古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(英語ではジュリアス・シーザー)が新しい暦を制定したとき、誕生月に自分の名前を付けたのが由来です。

 多芸多才なカエサルには多くの顔があります。混迷の時代に権力闘争を勝ち抜き、数々の改革を成し遂げ、帝政ローマの礎を築いた大政治家、戦場にあっては奇策を駆使して劣勢をはね返し、ここ一番という決戦に勝ち続けた名将、筆を執れば著書『ガリア戦記』に綴った簡潔な文体がラテン文学の模範と評される文章の達人、弁舌を振るえばたちまち満場の聴衆を魅了する雄弁家と、まさに万能です。一方で若い頃から頭髪の薄さに悩んでいるかと思えば、浪費の末に莫大な借金を抱えつつ、多くの貴婦人との交際を公然と重ねるといった享楽的な面もあり、謹厳実直とは程遠い人物だったようです。

 カエサルが世界史に偉大な足跡を遺し得た要因は、希有な才能に恵まれたことだけではありません。一つには、恐ろしく逆境に強い、タフな精神力が挙げられます。カエサルの生涯は波乱万丈で、常人なら取り乱したり逃げ出したりしてもおかしくない絶体絶命の窮地に何度も陥りますが、常に泰然自若として少しも動じず、時には周囲を励ましながら、冷静に逆転の機会をうかがっています。

 もう一つは、並外れた寛大さです。特に降伏してきた敵に対しては、命を奪うどころか、去就の自由を与え再び自分に敵対する結果となることまで容認しました。政治家としての大局的判断だったのかもしれませんが、多分に個人の信条によるものでしょう。

 カエサルの死後、動乱に終止符を打ったローマが空前の世界帝国へと拡大し、未曾有の平和と繁栄を謳歌したのを見れば、二千年後の戦後日本、安保騒乱の直後に所得倍増計画を打ち出し高度経済成長を軌道に乗せた池田勇人内閣も自らの戒めとした「寛容と忍耐」こそが時代の転換に不可欠であることがわかります。