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市長室からこんにちは(平成29年2月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年1月23日更新

  『柿本人麻呂の栄光と悲劇』と題する興味深い論考が先ごろ出版されました。著者は、山陰文藝協会の会長を務められておられる益田市ご出身の池野誠氏です。謎の多い人麻呂の生涯と業績をその時代背景とともに解き明かす快著です。

 律令に基づく天皇中心の国家が始動した飛鳥時代後期は、若々しい息吹に満ちた時代で、おおらかな白鳳文化が咲き誇りました。文学の分野では、漢字を応用した独自の万葉仮名が成立したとされ、後世に残る和歌の傑作が続々と生まれました。

 この時代の最大の歌人が柿本人麻呂です。宮廷歌人として天皇を讃える歌を数多く作る一方、素朴な自然観や尽きせぬ旅情、そして愛した女性たちとの別れを、それまでになかった鮮やかな表現と修辞を駆使して雄大に詠い上げました。言葉の奥底に秘められた、「言霊」とも呼ばれる力を最大限に引き出し、日本語を芸術の一つに高めることに成功したといえ、国文学に与えた影響は計り知れません。

 後に完成した万葉集には、人麻呂の歌が4百首以上も収録されており、全体の1割弱を占めます。これと肩を並べる歌人は選者本人である大伴家持のみです。ところがどういうわけか、同じ奈良時代に編纂された古事記や日本書紀には「柿本人麻呂」という名前が一切記述されていません。何らかの権力闘争に巻き込まれた結果、不遇な晩年、または悲劇的な最期を迎え、歴史から抹消されたとする見方も有力です。

 しかし、人麻呂は復活します。平安初期に編纂された古今和歌集の序文で「歌の聖」と呼ばれ、平安後期には歌会に際しその肖像を掲げる人麻呂影供(えいぐ)という儀式が始まり、歌の神として崇められるようになりました。そして江戸中期に挙行された千年忌では、柿本大明神の神号と正一位の神階を贈られ、最高位の神に上りつめたのです。

 全国に数ある柿本神社の本社である高津柿本神社では、今年も恒例の節分祭が行われます。人麻呂の栄光と悲劇に思いを馳せながら、皆様の無病息災を願い、豆をまきたいと思います。