ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 市長の部屋 > 市長室からこんにちは(平成29年9月号)

市長室からこんにちは(平成29年9月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年8月23日更新

  今から13年前のこと、中国西安市郊外の工事現場から、1300年前に海を渡った日本人の墓誌が発見され、話題になりました。西安といえば、古くは長安と呼ばれ、唐の時代には人口100万を超える国際都市として空前の繁栄を誇った中国有数の古都です。

 墓誌には、日本出身の「井真成」という人物の名前が記されていました。読み方は、「せいしんせい」または「いのまなり」と推定されますが、本名は別だった可能性もあります。その後の研究によれば、699年に生まれた井真成は、717 年に阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や吉備真備(きびのまきび)とともに遣唐使の一員として渡航しましたが、帰国を果たせないまま734 年に病気により亡くなったとのことです。才能に恵まれていた上に努力家で、かつ抜きん出た容姿の持ち主だったことも碑文からうかがわれます。

 時の玄宗皇帝は、その死を深く悼み、外国人には極めて異例とされる「尚衣奉御」という高位を追贈し国費で葬儀を執り行いました。玄宗といえば、楊貴妃のふくよかな色香に溺れて政務を怠り、部下の反乱を招いて国を傾けた歴史的失態で後世に名を留めますが、人材を大切にする名君でもあったのです。

 同じく中国で生涯を閉じることになった阿倍仲麻呂の活躍については詳細な記録が残っています。最難関の科挙に合格して唐王朝の要職を歴任するかたわら、李白や王維などの大詩人とも親交を結んだことが、晁衡(ちょうこう)という中国名とともに多くの史料や漢詩に明らかです。しかし、百人一首にある「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」からは、井真成にも通じるはずの望郷の念が読み取れます。

 日本の国号が刻まれた最古の例とされる井真成の墓誌は「身体は異郷の土に埋葬されたが、魂は故郷に帰ることを願っている」という文面で終わります。祖国を代表するエリートの凛々しい姿が浮かび上がる一方、帰郷を念願しながらついに叶わなかった無念、そしてその悲運に哀惜の思いを寄せる異国の人々の友情も伝わってきます。