ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 市長の部屋 > 市長室からこんにちは(平成29年10月号)

市長室からこんにちは(平成29年10月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年9月20日更新

 このコラムも数えて61号の「還暦」を迎えることとなりました。初回掲載が平成24年の10月号でしたので開始から5周年の節目にもあたります。


 第1号のコラムのテーマは、ちょうど記念式典を間近に控えていた「市制60周年」としました。その文章の中で還暦について少し触れたのですが、その際にはこのコラムもいずれ「還暦」を迎えることは意識も想定もしていませんでした。


 ご承知の通り「干支」とは〝子丑寅…〞と続く「十二支」と〝甲乙丙…〞で始まる「十干」との組み合わせのことであり、60年で一巡します。還暦とは、生まれた年から60年たてば、最初の干支(暦)に還るという意味ですので、満年齢では60歳、数え年では61歳のことをいいます。


 干支は、しばしば歴史的な事件や施設の名称の頭に付けられます。古代日本の関ヶ原ともいうべき「壬申」の乱、明治維新の際の「戊辰」戦争、全国の高校球児の憧れ「甲子」園球場などがなじみの深いところです。


 なお、「丙午(ひのえうま)」の年(直近では1966 年)の出生数が激減するのは日本特有の傾向のようです。「丙」も「午」も、中国の五行説で火の運気が強いとされ、また江戸時代初期に大火を起こした「八百屋お七」が丙午の生まれとされたため、丙午生まれの女性は気性が激しく、嫁ぎ先に災いをもたらすという迷信があったのです。


 ただ、この迷信が誤りであることは、幕末の公武一和のシンボル皇女和宮も、そして秋篠宮妃殿下も丙午のお生まれということからも明白です。特に今は「女性活躍」の時代。少々気が早いことながら、9年後の丙午の年には「再評価」され、出生ブームが到来することを密かに期待しています。


 それやこれやと干支の巡りを随想しつつ、過去5年のコラムを一つひとつ読み返すと、時々の感慨やこれまでの出来事を懐かしくたどることができます。これからも、時の流れのなかに月ごとの区切りを刻むように書き続けたいと思います。