三宅御土居跡の発掘調査 - 益田市ホームページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月1日更新

益田氏

三宅御土居跡の発掘調査

 平成2年度からの調査によって、館跡全体がよく保存されていることが明らかになりました。
 館の周囲は、堀や川によって守られていました。東西の土塁の外側は幅約10m、深さ約3mの箱堀(断面が逆台形の堀)で、北側は斜面が緩やかで幅10~16m、深さ1.5mのやや浅い堀でした。南側は幅約20~25mの川が流れ、堀の役目もしていました。
 三宅御土居の最終的な形は、館の東が北に突出した不整形(長靴型)で、堀を除く敷地の東西は最大190m、南北は最大110mもありました。1町(約109m)四方といわれる通常の館の倍の規模を持ち、周囲を堀で囲み東西に高い土塁を築いた館の姿は益田氏の力を誇示するに充分なものでした。
 道路予定地の調査では、約1000の柱穴跡を発見し、12世紀から16世紀にかけて掘立柱建物が繰り返し建て替えられていたことがわかりました。館の東側には、倉庫や蔵など生活を維持するための建物があったと考えられています。また13世紀の木組井戸跡、16世紀の礎石建物の鍛冶場跡や石積井戸跡も発見されました。鍛冶場跡は、天正期の改修後の建物配置を示すといわれる「益田氏御殿略図」写しに示されている細工小屋の位置で見つかり、この史料の信頼性も高まりました。
 建物は、平安時代末期の12世紀から三宅御土居が廃絶する16世紀末にかけての土師質土器(かわらけ)、瓦質土器、備前焼、常滑焼、唐津焼や中国製の白磁、青磁、染付、朝鮮製の陶磁器などが多量に出土しました。

三宅御土居想像図

三宅御土居創造図

(1) 北側の堀跡
北側堀跡斜面が段状で、最大16mの幅がありました。
(2) 鍛冶場跡
鍛冶場跡炭や鉄滓と、炉に風を送るふいごの先端の羽口が出土しました。
(3) 木組井戸跡
木組井戸跡一辺1.5m、深さ4m以上の13世紀の木組井戸跡が発見されました。出土した桶と陶器片木組井戸跡の底近くから出土した桶と陶器片。
(4) 掘立柱建物の柱穴跡
掘立柱建物の柱穴跡直径10cm~30cmの柱穴跡が約1,000発見されました。
(5) 石積井戸跡
石積井戸跡直径2mの16世紀の石積井戸跡が発見されました。

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