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市長室からこんにちは(平成30年3月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月21日更新


 50歳で老舗の当主の座を退いた伊能忠敬の悲願は、地球の大きさを知ることでした。そのためには、遠く離れた地点で北極星を観測し、その仰角を比較する必要がありました。そこで、まずは天文学を学ぶため江戸に上り、幕府天文方の高橋至時に弟子入りしました。当初、至時は隠居の道楽かと思い気乗りしませんでしたが、すぐに忠敬の熱心さと聡明さに感銘を受け、互いに尊敬しあう間柄になりました。


 天文の大要を習得すると、今度は、海岸防御のため蝦夷(北海道)の地形把握が急務だった幕府に対し、地図作成を名目とする旅行の許可を願い出ました。すると費用補助は20両のみ、測量機器等は自前で準備することという条件で認められたのです。

 10人の仲間とともに江戸を出立したのは忠敬55歳の春。北海道の海岸沿いをひたすら歩き、昼間は歩数を数え、方位を図り、夜になれば天体観測と記録の集計というおよそ半年間の旅は、想像を絶する苦難の連続でした。しかし、その結果、地球の大きさを確認できたうえ、幕府の期待以上に精密な北海道地図が完成しました。以後、幕府は他の方面の測量を次々と忠敬に委ねるようになります。回を追うごとに補助が手厚くなり、ついには特命事業として経費全額が支給されるようになりました。

 その一方で、忠敬の老衰も進みます。71歳で第10次旅行から帰ると、残る力を振り絞り地図完成を急ぎますが、2年後無念にも道半ばで息を引き取りました。弟子たちはすべての功績を忠敬に帰すため、その死を伏せ、涙を隠して制作を続行しました。

 こうして完成した大日本沿海輿地図は、後にその写しが密かに国外に持ち出されました。これを手に黒船を率いて来航した米国のペリー提督は、沿岸を試しに測量してみて、その結果が地図と寸分違わぬことに驚嘆しました。そして日本は決して侮れぬ文明国と思い知ったのです。


 通算3737日間に及んだ地図作成の旅の総行程は約4万キロ。奇しくも忠敬自身が確かめた地球一周の長さに相当します。