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市長室からこんにちは(平成30年8月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年7月23日更新

 1964年の東京オリンピックは、戦後の復興から高度経済成長に移行していた日本にとって、先進国への仲間入りを世界に告げる好機とされました。2020 年東京オリンピック・パラリンピックを2年後に控えた今、先の五輪がもたらした変化とインパクトを振り返ります。


 最大の変化は都内の公共交通網の発達といえます。開催の2年前から供用が始まった首都高速道路は羽田空港から都心を経て本会場や選手村に至る区間が最優先で整備されました。地下鉄網も新規路線の相次ぐ開通で急速に充実しました。空港と浜松町を結ぶ東京モノレールの開業は五輪開会の23日前でした。


 さらに言えば、開会9日前に運転を開始し東京― 名古屋― 大阪の三大都市圏をつないだ東海道新幹線は、世界初の高速鉄道でした。難題だった高速走行時の振動の抑制は、かつて世界最強の戦闘機とされた零戦の技術転用の賜物とされています。


 東京五輪で初めて公式計時を担った国産時計メーカーは、従来の機械式に比べ格段に正確なクオーツ式を世界に先駆けて採用し、大会を通じて計時エラーゼロという快挙を達成しました。競技記録の集計も、それまではまとめてデータ入力するバッチ処理で行われ、確定に数箇月を要していました。ところが、画期的なリアルタイム処理システムが構築されたことで、国別メダル獲得数なども即座に表示されるようになったほか、競技最終日の閉会式では早くも公式記録本が完成していました。


 海外への衛星生中継が初めて実施される一方、国内ではテレビが一気に普及しました。まだ大半が白黒テレビながら、五輪開催決定の1959 年に24%だった世帯普及率が5年後の開催年には88%に跳ね上がりました。お茶の間で家族そろって競技を観戦したいという大衆の願望を映すかのような急伸ぶりです。


 このように、東京五輪は多くの社会資本整備、技術革新、モノの普及を伴いました。そして、その影響は生活文化にも幅広く及びました。このことについては紙数の関係により次号にて述べることとします。