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市長室からこんにちは(平成31年3月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年2月21日更新

 今から70年前、第一次中東戦争で激しく敵対したエジプトとイスラエルに休戦を合意させた人物は、ラルフ・バンチというアフリカ系アメリカ人でした。

 バンチの幼少期は孤独と貧困と差別に満ちていました。早くに両親を亡くし、元奴隷の祖母に引き取られ、ロサンゼルスで最も犯罪の多い貧民街で成長しました。働きながら高校で学んだ後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を総代として卒業し、ハーヴァードの大学院に進学しました。このとき学資を出し合い支えてくれたのが米国内の黒人仲間でした。黒人初の政治学博士となったバンチは、国際連合憲章の起草にも携わりました。

 1948年5月に始まった第一次中東戦争は大きな国際問題となり、国連が調停に乗り出すことになりました。最初に調停官として派遣されたベルナドッテ伯爵が過激派によって暗殺されたのを受け、当時45歳のラルフ・バンチが後任となりました。

 舞台をエーゲ海のロードス島に移しての調停は難航を極めました。聖書の時代からの宗教対立に加え、安易な譲歩を許さない強硬な世論が背後にあったのです。両国の代表団は会場の廊下ですれ違っても顔を背け、交渉の場に同席することすら拒みました。そのため双方と個別に折衝を進めましたが、両者が納得できる妥協案を示すことは至難の業でした。バンチは、いったん停戦が実現しさえすれば後で細かい文言解釈を巡って戦闘が再開されることはないと考え、互いが都合よく解釈できるような文面を練り上げました。あえて食事休憩を取らず、協議を深夜まで長引かせ、疲れ果てた双方の代表から少しずつ譲歩を引き出したこともありました。

 6週間の交渉の末、1949 年2月24日、停戦協定が締結されました。翌年バンチは黒人初、しかも史上最年少(当時)のノーベル平和賞受賞者となりました。その後は大学で教鞭を取ったり、黒人公民権運動に関わったりする一方、1971 年に亡くなるまで国連の職員として世界平和に貢献し続けました。