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市長室からこんにちは(令和元年11月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月24日更新

 囲碁の起源をたどると、発祥地はおそらく中国、成立の時期は不明とされるものの、とてつもなく長い歴史を持つことは確かです。黒と白の石を交互に置く19×19目の碁盤は、気の遠くなるような局面の変化をはらんでおり、あたかも小宇宙がそこにあるかのようです。

 囲碁に関連する言葉や故事も数えきれないほど存在します。例えば「捨て石」「一目置く」「白黒つける」、さらには「死活問題」や「八百長」なども囲碁に由来するとされています。三国志には、関羽(かんう)が腕に受けた矢の毒を骨から削り取るという荒療治を受ける際、常人なら気絶するほどの激痛があったにもかかわらず、囲碁を打ちつつ平然と凌しのいだという豪傑ぶりが描かれています。また、我が国では幕末薩摩の下級藩士だった若き日の大久保利通が、囲碁を通して権力者島津久光に近づき、それを契機に才腕をいかんなく発揮して、ついに維新の大業を成し遂げたという話も有名です。

 日本に過去幾多の名人が現れましたが、中でも本因坊道策(ほんいんぼうどうさく/江戸前期、現在の大田市仁摩町馬路出身)や本因坊秀策(ほんいんぼうしゅさく/江戸後期、尾道市因島出身)はその圧倒的強さから「碁聖」と呼ばれます。しかし、視野を世界に広げたとき、別格の大功労者といえるのが益田市高津出身の本因坊薫和(くんわ)こと岩本薫です。「原爆下の対局」でも名高い第3期本因坊戦を制して棋界の頂点を極めただけでなく、それまでほぼ東アジアだけの嗜みであった囲碁を世界的競技とするため、私費を投じてヨーロッパや北米、南米に次々と拠点を築いたからです。

 平成11年11月29日に97歳で亡くなった岩本薫に対し、益田市はその後名誉市民の称号を贈りました。また、市制施行60周年となる平成24年には大田市、尾道市など全国の囲碁ゆかりの市町の代表を招いて囲碁サミットを開催しました。

 没後20年を迎えるこの秋、日本棋院益田支部では高津公民館の一角に顕彰碑を建立されます。そこに刻まれる本因坊薫和本人の筆跡による「囲碁を世界に」のペン文字は、その情熱をもっとも強く注いだ事績を端的に表す6字といえます。