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市長室からこんにちは(令和3年月1号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年12月22日更新

 令和2年6月、「中世日本の傑作 益田を味わう―地方の時代に輝き再び―」が日本遺産に認定されました。これまで営々

として築きあげてきた歴史を活かしたまちづくりの成果であり、今後いっそうの推進と発信の契機となり得るものです。

 ところで「中世」は歴史の時代区分のひとつです。西洋史では古代、中世、近代、現代の4つに区分されますが、中世はとも

すれば「暗黒時代」とされます。ギリシア・ローマの輝かしい文明が開花した古代と、人間中心の開放的なルネサンス文化が

興隆した近代との狭間に埋没し、華やかな印象に欠けるのです。

 対照的に、日本史における中世は自由闊達な時代です。その始まりについて、山川出版社の『詳説日本史』は実に端的に

記述しています。「院政期には、私的な土地所有が展開して、院や大寺社、武士が独自の権力を形成するなど、広く権力が分

散していくことになり、社会を実力で動かそうとする風潮が強まって、中世社会はここに始まった」。つまり、制度や慣習が形が

い化し、中央による統制が緩み、実力こそがものをいうようになったのが中世だったのです。それは必然的に、地方に群雄が

割拠する時代でもありました。

 歴史をたどると、益田人びとがまさに才覚と胆力で乱世を生き抜いた軌跡が見えてきます。林野や鉱山から産出される材木

や鉱物は、日本海を越えた国内外との交易によりさらなる富の根源となりました。中世を通じて当地の領主であり、一方では

海洋領主的性格をも併せ持った益田氏は盤石の経済基盤を誇り、地形を活かした堅固な城館を構えつつ、強大な相手の傘

下に入るときには巧みに最上の条件を引き出しました。そして、時代が下り、江戸末期には長州藩の永代家老として主家の

危難に際し、一身を打ち捨てて重責を果たしたのです。

 「令和」もまた、多少の意味合いの違いはあれ、地方の時代であり、何よりも実力が問われる時代です。先人の英知と決断

を鑑とし、当市の発展を期したいものです。