名棋士・岩本薫九段(本因坊薫和)について

更新日:2026年07月03日

名棋士・岩本薫九段(本因坊薫和)について

益田市出身の囲碁棋士。

1902年(明治35年)2月5日、美濃郡高津村(現在の高津)で生まれる。

10歳のころ、父から囲碁を習い11歳のころには囲碁の先生からプロになることを勧められ16歳で初段となる。

当時の囲碁棋戦では「本因坊(ほんいんぼう)」というタイトルしかなかった中でまたタイトル戦も2年に1度しか行われなかった中、岩本薫は2度のタイトル獲得。

その活躍は棋士としてにとどまらず、戦後には日本棋院(囲碁の発展を目的とした組織)の復興に向け本部を建て直し、運営が出来るよう募金活動を行う。

さらには「岩本囲碁振興基金」を作り、そのお金を元にサンパウロ囲碁会館、アムステルダム囲碁文化センター、シアトル囲碁開館等を建設し碁の指導者を派遣するなどして海外への囲碁普及を進めた。

偉大な棋士として、また囲碁の発展や海外普及に大きく影響を与えた本因坊岩本薫は1999年(平成11年)、97歳で亡くなったが、2002年(平成14年)には生誕100年を記念して、益田市名誉市民の称号を贈られる。

 

【平成5年 ロンドン囲碁センターにて】

 

本因坊岩本薫については益田市教育委員会発行の「益田ふるさと物語」で一部取り上げております。益田ふるさと物語詳細については以下よりご確認下さい。

https://www.city.masuda.lg.jp/soshikikarasagasu/seisakukikakukyoku/hishokouhouka/4_1/3/1627.html

プロフィール

     岩本 薫(いわもと かおる)

1902年(明治35年)2月5日生。島根県益田市出身。1913年故広瀬平治郎八段に入門。
1917年入段
1919年二段、1920年三段、1922年四段、1925年五段推挙、1926年六段、1941年七段、1948年八段、1967年九段。
1983年4月引退。
日本棋院東京本院所属

中盤の戦いに強く、棋風は「豆まき碁」として一時代を画した。

1929年に碁界から退き、ブラジルに移住。6年帰国、碁界復帰。
1945年の日本棋院焼失後は自宅を仮事務所にし棋院新館復興に尽力。
1948年から1949年、日本棋院理事長を務める。
1954年、日本棋院中央会館開館、館長就任(1955年まで)。
1961年、アメリカで約一年半滞在し囲碁普及。その後ヨーロッパへ(37年まで)。
1969年、恵比寿に囲碁サロン開設。
1982年、国際囲碁連盟発足。
1986年、囲碁サロンを売却、日本棋院に5億3千万円を寄付。
1988年、ブラジル・サンパウロに南米囲碁会館開設。
1991年、ヨーロッパ囲碁文化センター開館。
1995年、ニューヨーク囲碁センター開設、シアトル囲碁センター開設。

1999年11月29日逝去。97歳。

棋士成績(直近のテレビ棋戦を除く)

 

 

対局数

勝数

負数

持碁

無勝負

 

通算成績

861

447

392

21

1

 

本年成績

0

0

0

0

0

 

昨年成績

0

0

0

0

0

               

棋戦主要履歴

昭和10年(1935年)大手合優勝昭和20年(1945年)第3期本因坊戦挑戦者となる
橋本昭宇本因坊と3勝3敗 (8月広島で原爆対局を体験)昭和21年(1946年)本因坊決定三番勝負に2連勝して本因坊就位、薫和を号す昭和22年(1947年)第4期本因坊戦で木谷八段を退け防衛昭和27年(1952年)日経主催全本因坊全八段戦優勝昭和30年(1955年)第2期NHK杯戦優勝昭和48年(1973年)名人リーグ入り ※当時72歳

受賞歴

囲碁関連受賞履歴

昭和42年(1967年)棋道賞敢闘賞昭和46年(1971年)大倉喜七郎賞受賞昭和48年(1973年)棋道賞敢闘賞平成元年(1989年)棋道賞国際賞平成23年(2011年)日本棋院囲碁殿堂入り

その他受賞履歴

昭和42年(1967年)紫綬褒章受章昭和47年(1972年)勲三等瑞宝章受章昭和51年(1976年)サンフランシスコ文化勲章昭和62年(1987年):東京都名誉都民に選ばれる平成14年(2002年)生誕100周年を記念し、益田市名誉市民となる

 

 

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