秦佐八郎博士の生い立ち・年表

更新日:2022年01月04日

誕生

 「さあさん、ちょっと来てやんさい」と母ヒデはいたずら盛りの少年佐八郎を呼んで、物静かに土蔵の中で諭した逸話は、有名な話である。
 1873年(明治6年)3月23日石見国美濃郡都茂村大字都茂、笹利 山根道恭の8男に生まれる。すぐ上の兄 藤七(後漢文学者、大学教授)とは良く遊び良く学んだ仲良しで、叱られるのも2人づれのときが多かった。

秦家へ

 藤七兄に負けず劣らずの勉強好きで、小学校の成績も抜群であったという。
やがて小学校卒業のころ同地医者秦家では1人息子の早世から、縁戚山根家へ養子話を持ち込んだ。はじめは藤七にする話があったという。

勉学

 「岡山に出て勉強が出来る」と、14歳の少年佐八郎は秦家に迎えられて、益田の私塾新徳教社で英語を学び、やがて1891年(明治24年)岡山第3高等中学校(後高等学校)医学部に入学した。
 学友からは「山の神」と田舎出身の秀才に綽名が付けられた。教授たちには「恐るべき生徒」といわれる天才ぶりを発揮した。

上京

 岡山第3高等学校医学部卒業後、1年志願の兵役を務め、1897年(明治30年)岡山県立病院助手となった。井上善次郎博士から内科学、荒木寅三郎博士からは医化学を学びながら上京の機会を待った。
 郷里からは帰郷の催促もあったが、秦家の理解と荒木寅三郎教授の推薦があって、1898年(明治31年)8月上京、大日本私立衛生会経営の伝染病研究所に入所、所長北里柴三郎博士に師事することとなった。

留学

 伝染病研究所に約10ヵ年、研究心旺盛な青年医学者として各種公務にも携わり、その間日露戦争にも従軍、後推されてドイツ留学が許される。
 ドイツに3ヵ年、特に国立実験治療研究所ではエールリッヒ博士を扶けて梅毒に対する特効薬の研究に奮闘、遂に1910年(明治43年)世界初の化学療法剤サルバルサン(救うの意)606号を発見した。
 エールリッヒ博士は、旧友北里博士に「ドクター秦がいなければ、こんなに早くは成功しなかった」と感謝の手紙を届けた。

晩年

 サルバルサン発見者として、特にこの薬による治療方法の指導や衛生思想の普及向上につとめ、慶応大学教授を歴任し帝国学士委員会にも勅選された。郷土へは図書館を贈って青少年を励ましたが、1938年(昭和13年)65歳にして病にたおれ、その尊い生涯を終わった。

秦佐八郎博士年表

年表一覧
西暦 年号 年齢 事柄
1873 明治 6   3月23日 石見国美濃郡都茂村(現美都町)山根道恭・ヒデの8男として出生
1887 明治20 14 同村医家 秦徳太・ツタの養子となる
1891 明治24 18 7月 岡山第三高等中学校医学部に入学する
1895 明治28 22 8月 秦徳太の長女チヨと結婚
1898 明治31 25 8月 大日本私立衛生会・伝染病研究所に入所
北里柴三郎所長に師事する
1904 明治37 31 4月 日露戦争従軍・南満州(現中国)各地に赴く
1910 明治43 37 4月 ドイツ国立実験治療研究所でエールリッヒ博士を扶けてサルバルサンを発見
ドイツ学会に発表
1911 明治44 38 4月 サルバルサン発見の功績により勲5等双光旭日章を受ける
1912 明治45 39 7月12日 医学博士の学位を受ける。
論文「螺旋菌病のヘモテラピー」
1914 大正 3 41 11月 伝染病研究所移管に伴い北里所長と共に総辞職、北里研究所設立に参画
1915 大正 4 42 国産サルバルサン創製に成功
1921 大正10 48 6月 極東熱帯医学出席のためインドネシア・ジャワ・バタビヤに出張
1923 大正12 50 2月 アメリカロックフェラー財団の招きで同国・カナダの医事衛生視察
1926 大正15 53 ドイツ帝国自然科学院会員に推される
1928 昭和3 55 ドイツで開催された国際連盟主催、サルバルサン標準国際会議に出席
1931 昭和6 58 恩師北里柴三郎博士死去
6月 北里研究所副所長に就任
1933 昭和8 60 1月 帝国学士院会員に勅選され終身勅任官待遇を受ける
1935 昭和10 62 7月 財団法人保生会創設に参画。常務理事長となる
1938 昭和13 65 7月 慶応大学付属病院入院
11月22日 同病院で死去
秦佐八郎博士の生家の外観写真

生家

エールリッヒ博士と秦博士の顔写真

エールリッヒ博士と秦博士
(この写真が記念メダルとなった)

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