日経アジア(Nikkei Asia)で益田市のことを紹介していただきました

更新日:2022年09月08日

 アイルランド出身で、益田市とも縁の深い翻訳家・版画家・詩人のピーター・J・マクミラン氏が、日経アジア(Nikkei Asia)で、益田市のことをご紹介してくださいました。

NIKKEI Asia ーIn the footsteps of a famous 'Manyoshu' poetー

【日本語訳】有名な万葉歌人の足跡を訪ねて~日本の益田市、古代の歌集に光を当てる~

私は今年1月、本州の日本海側に位置する島根県にあり、豊かな歴史文化と自然を残す益田市を訪れました。市内には羽田空港から飛行機で90分の石見空港があり、週末をゆったりと過ごすにはうってつけのまちです。

益田市は、温暖な気候と豊かな農地に恵まれ、メロン、ぶどう、トマト、いちご、ゆず、わさび、柿などの農産物で有名です。また、島根県産の牛肉も美味しく、川には鮎がいます。中国山地の四季の移り変わりと海岸の美しい夕日のいずれも鮮やかで、雄大な自然が市の全域をとり囲んでいます。

しかし、益田市のもっとも特筆に値する事柄は、現存する日本最古の歌集である「万葉集」との関わりであり、私をここに招き寄せたのも「万葉集」でした。

私は、筑波大学の万葉学者である茂野智大氏とともに、7世紀前半から8世紀後半までの約130年間に詠まれた4500首の和歌からなる古代の歌集を完全翻訳する事業に着手したばかりです。

益田市の山本浩章市長と職員の方々は、万葉集の和歌を刻んだ歌碑を案内してくれました。和歌とは、一般的には日本の古典詩のことですが、その中でも特に、5-7-5-7-7の31音で構成される定型詩を指すこともあります。

どうして市長に会えて、案内してもらえたのかと思われるかもしれませんが、実は多くの接点があったのです。私はアイルランド人であり、駐日アイルランド大使から、アイルランドと強いつながりを持つ益田市のことを知らされていました。益田市は、東京パラリンピックの際、アイルランドのパラサイクリングチームのトレーニングキャンプ地だったのです。

加えて、市長は私の本(この6年間、年に1冊ずつ)をすべて読み、そのほとんどを所有していました。One Hundred Poets, One Poem Each(『百人一首』の英訳本で、英語版はペンギンブックスが、日本語版は文藝春秋が発行)などにおける元々の翻訳を再翻訳した本もありますが、市長は私がある和歌について、出版物によって何度も訳し方を変えてきたことを指摘することができました。

私の仕事の内容をこれほど詳しく知っている人に会ったのは初めてでした。アイルランドと日本の文化をともに愛好する私たちはすぐに友人になりました。

日本全国には万葉集の歌が刻まれた「万葉歌碑」が約2,300基あります。「万葉歌碑」は、名勝や神社仏閣をはじめ、全国各地に点在していますが、これらがネットワーク化されれば、一つひとつが万葉の世界を体感できる「歌碑巡礼」の目的地として重要な観光資源となる可能性を大いに秘めています。

しかし、残念なことに、これらの豊かな可能性を秘めた遺跡は、現状のままではアクセスすることが困難です。石碑に刻まれた歌は古い文体と字体で書かれていて、日本人でもほとんど読めず、理解するのはなおさら難しいのです。また、詩の説明や解説もないため、時折訪れる研究者以外には意味を読み取ることができないのです。

そこで私は、専門家でない人も「歌碑巡礼」を楽しめるように、歌碑の横にわかりやすい案内板を設置していくプロジェクトを立ち上げました。案内板には、和歌の現代語訳と英語訳に加え、作品の背景や文学的意味を説明する両言語の解説を記載します。

このプロジェクトは昨年、日本観光振興協会の「地域観光振興プログラム」の一つとして、日本の民間助成団体である日本財団の助成を受けました。先日、本州の北西に位置する富山県高岡市で石碑の案内板の第一弾を完成させたところです。益田市でも同様の万葉文学の旅プロジェクトを始めることができないかと、万葉集の歌碑を見ながら思いました。

益田市を含む石見地方には50余りの歌碑がありますが、ほとんどが万葉集の著名な歌人の一人である柿本人麻呂に関連するものです。人麻呂は石見地方を旅し、当地での体験を反映した歌を詠みました。

現在、益田市では、この古代の歌人とその作品を称えるさまざまな事業を行っています。柿本人麻呂の功績をたたえる代表的な神社は、人麻呂を神として祀っている高津柿本神社で、全国に数多くある人麻呂神社の総本山です。また、幼少期の人麻呂のほか養父母や親族など7体の像が安置されている戸田柿本神社も訪ねました。来年は人麻呂の没後1300年であり、益田市においてもそれを記念する催しが計画されています。

万葉集は文学作品として優れているだけでなく、古代人特有のものの見方が理解できる貴重な資料でもあります。例えば、当時の人々はシャーマニズム的な信仰が深く、親族が亡くなった場合もその魂を霊視していたことがわかります。柿本人麻呂の死後、妻の依羅娘子(よさみのおとめ)が詠んだ美しい歌を読むと、当時親族を亡くした人たちは、故人が息を引き取った場所に立ち昇った雲を、故人そのものと見立てていたことがわかります。

直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(じかにお会いすることはできないけれど、石川に浮かぶ雲を見て、あなたのことを偲びます)

案内板の話をすると、山本市長は、「そのプロジェクトは日本人にとっても大きな意味があると思います。原文のままよりも英訳の方がすんなりと理解できる場合もあるのです」とうなずきました。これまでも、私の英訳を読んで、日本の昔の和歌の意味が初めて理解できたと言ってくれた日本人は多かったのです。

益田市には他にも見どころがたくさんあります。島根県立万葉公園には、『万葉集』に詠まれたさまざまな植物や花があり、一年中楽しむことができます。現代ではただの路傍の草花とされている小さく繊細な花々は、中国などから色鮮やかで物珍しい植物が伝来するはるか以前から、純真な古代の歌人たちによって、むしろその素朴さゆえに愛でられていたことがわかるのです。

観光客にまだ知られていない部分が大きいものの、益田にはさらに二つの誇るべき文化資源があります。雪舟等楊(1420-1506)という芸術家と、日本神話にもとづく伝統的な演劇である石見神楽の隆盛ぶりです。禅僧であった雪舟は明で絵を学んだ後、芸術活動のために益田に招かれ移り住みました。益田の万福寺や医光寺(現在は国の史跡・名勝に指定)の山水庭園も手がけました。医光寺の庭は春はしだれ桜、秋は紅葉で知られています。また、万福寺の本堂は国の重要文化財に指定されています。また、雪舟記念館には1479年に描かれた肖像画や雪舟作と伝わる花鳥図が収蔵されています。

石見地方では、古くから石見神楽が演じられてきました。私が昨年観覧した京都公演では、勇壮に舞い、最後に首をはねられた八岐大蛇が見事でした。

益田市には、あまり混雑していない道路と、サイクリストのためのルートがいくつかあり、サイクリングにも最適です。100キロを一度も信号で止まることなく走れるコースもあり、「100ゼロ」と呼ばれます。ところどころ海岸を見ながら、今度は川に沿って、山へと向かうルートでは、途中2つの温泉で休憩することができます。終点の近くにも温泉のあるホテルがあります。

傾斜が多く、トレーニングに適したこのコースは、東京パラリンピックに出場したアイルランドチームも実走しました。しかし、そこまでの脚力がない場合は、コースの一部だけを走ったり、2日がかりでのんびり走ったりすることも可能です。他にも気軽なサイクリングに適したコースもあります。また、スタートとゴールを石見空港とし、市内を周遊することもできるので、飛行機利用の旅行者にとっても便利です。

そういえば、山本市長はしょっちゅうサイクリングをしているそうです。もしかしたら路上ですれ違うかも。

(翻訳:益田市観光交流課)

古典文学翻訳家 ピーター・マクミラン氏について

ピーター・J・マクミラン氏が市長を表敬訪問されました

この記事に関するお問い合わせ先

産業経済部 観光交流課
〒698-8650 島根県益田市常盤町1番1号
電話番号:0856-31-0331
ファックス:0856-23-4655

お問い合わせフォーム

みなさまのご意見をお聞かせください(観光交流課)
このページの内容は分かりやすかったですか
このページは見つけやすかったですか