雪舟とは
雪舟像
画聖雪舟等楊は、室町中期の頃、備中に生まれ、近くの宝福寺に 小僧にやられたと伝えられます。青年期に京にのぼり、相国寺の 禅僧として修行に励み、寛正二年(1461)に大内氏に招かれて 山口を訪問、その後遣明船に便乗して中国に渡り、中国の景色や 画法について学び続けました。
雪舟は、中国に滞在中、寧波にある禅宗の古刹・天童寺から「天童山第一座」という最高位の栄誉を贈られています。天童寺で修行した日本人は臨済宗の開祖栄西や曹洞宗の開祖道元などたくさんいましたが、「第一座」の栄誉を授かったのは雪舟唯一人だといわれています。
重要文化財「益田兼堯像」
帰国後、戦乱を避けて九州、さらに山口に渡り、その後益田七尾城主兼堯の招きにより宗観寺(現在の医光寺)の五代住職となりました。兼堯の死後、周防の雲谷庵に帰り、その後再び益田を訪れています。
そして益田の東光寺(現在の大喜庵)に入って晩年を過 ごし、永正三年(1506)87歳の生涯を閉じたと伝えられています 。
雪舟は益田滞在中に、萬福寺、医光寺の両寺に心の庭を築き、さらに「益田兼堯像」「花鳥図屏風」などの名作を描いています。
重要文化財「花鳥図屏風」(京都国立博物館所蔵) また晩年は東光寺(現在の大喜庵)で過ごしています。また悠々自適の生活を送る雪舟が 愛好したものに、1メートルの深さに掘られた岩に清水を湛えた霊巖水があり、硯や茶の水に使ったといわれ、現在でも愛好者が絶えません。
また、東光寺の裏手には雪舟の墓が建てられています。
雪舟の郷記念館
大喜庵
萬福寺庭園
医光寺庭園
上:ルーマニアの切手
下:ロシアの切手
雪舟は東山時代の画壇に活躍したばかりでなく、わが国の美術史上においても画聖として、建庭家として最高の地位を得た一人です。そして彼は後世になるにしたがい、ますますその画と庭園の真価を認められ、今日では世界的な画家の一人に数えられています。昭和31年、ウィーンで開かれた世界平和協議会は、世界の文化功労者10人を選んで顕彰しており、雪舟は ドストエフスキーやモーツァルトなどと共にその内の一人に加 えられているなど、雪舟の偉大さは私たちの想像をはるかに越え、国際的な評価を得ています。
益田の地を愛し、この地で自ら人生の幕引きをした偉人の遺跡が、私たちのすぐそばで息吹いていることに、市民としての誇りと喜びを感じます。益田市民にとって彼は歌聖柿本人麿とともに、心のよりどころとなっています。
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更新日:2022年01月14日