日本遺産「中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-」
益田市では、文化庁が公募した「日本遺産」に申請していましたが、令和2年6月19日、令和2年度の認定が発表され、中世の益田にまつわるストーリー「中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-」が日本遺産に認定されました。

萬福寺庭園

医光寺庭園
日本遺産とは
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語るうえで欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。

「日本遺産(Japan Heritage)」について(文化庁のサイト)
タイトル 「中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-」
海に国境のない時代―中世。山陰地方の西端のまち益田は、その地理と地域資源を活かして、大きな輝きを放っていました。
人々は、中国や朝鮮半島に近い地理と、中国山地がもたらす材木や鉱物などの地域資源を活かして、日本海交易を進めました。領主益田氏は、自らも交易に積極的に関与し、優れた政治手腕を発揮して平和を実現しました。経済的繁栄と政治的安定のもと、東アジアの影響も受け、どこにもない文化が花開きました。
現在の益田にはその歴史を物語る、湊、城、館の遺跡と景観、寺院や神社、町並み、庭園、絵画、仏像などの一級品がまとまって残っています。
このように、時代と地域の特性を活かして輝いた益田は、中世日本の傑作と言え、全国でも希有な中世日本を味わうことのできるまちです。

「逆さ地図」に見る益田市の位置(富山県作成の「環日本海・東アジア諸国図」に加筆)。益田は、東京や京都とは離れているが、日本海を通じて中国や朝鮮半島に近い。

益田平野。手前の日本海に、高津川(右)、益田川(左)が注ぐ。益田川河口の砂洲の内側に中世の港町の遺跡(中須東原遺跡)がある。
「中世日本の傑作 益田を味わう―地方の時代に輝き再び―」の基本情報
中世の益田についての各種情報
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化振興課
〒698-0033 島根県益田市元町11番26号
電話番号:0856-31-0623
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更新日:2022年01月12日