益田市内の石造物について

(1)益田市に残る中世石造物
益田市内には、大型の花崗岩製五輪塔(兵庫県神戸市の六甲の御影石の可能性がある)、福井県西部の日引石製の宝篋印塔や像容板碑、島根県大田市の福光石製の宝篋印塔、島根県鹿足郡津和野町の青野山系安山岩製の宝篋印塔など、作られた年代、石材、産地、形態、大きさそれぞれ異なる、多種多様な中世石造物が多くのこされています。

これらは、中世の益田が、瀬戸内海を通じて兵庫への、あるいは日本海を通じて小浜への(兵庫も小浜も京都に運ばれる物資が集積される港町)、石見銀山の玄関港である温泉津への航路や高津川を利用し、物資の輸送をしていた可能性を示唆するものです。なぜなら、これらの石造物は供養塔(亡くなった人を弔うための石塔)としての利用を前提としつつも、交易船のバラスト(軽くなった船を安定させるための重し)の役割も担っていたと考えられるからです。

また、大きな石造物は荘園領主や武士たち中世前期の有力者の存在を、小さな石造物は中世後期に比較的裕福な庶民らも供養塔を建てるようになったことを物語ります。

(2)石造物の調査
石造物については、その石材や形態から産地や年代を調べる取り組みが広く行われていますが、「形態は日引石製の宝篋印塔によく似ているが、石材は日引石ではない」、などの事例もあることから、ただちに産地や年代を特定するのではなく、石材の鑑定と図化を進め、事例の蓄積を図る必要があると考えています。

その点、多種多様な石造物が見られる益田市は非常に多くの事例を提供できるものと考えられ、継続的に調査を実施し、その成果を『益田市内石造物調査概報』として発表しています。

『益田市内石造物調査概報』

益田市内の石造物についての参考文献

伊藤菊之輔『島根の石造美術』報光社、1973年。
広田八穂『中世益田氏の遺跡』益田市史談会、1979年。
広田八穂『西石見の豪族と山城』広田八穂、1985年。
今岡稔「山陰の石塔二三について―2―」(『島根考古学会誌』8、1991年)。
今岡稔「上久々茂地区の中世石塔と古墓について」(島根県教育委員会編集・発行『上久々茂土居跡』1992年)。
間野大丞「高津川上・中流域の宝篋印塔」(『宍道町歴史叢書』1、1996年)。
間野大丞「益田市歴史民俗資料館の石造遺物群」(『島根考古だより』50、1996年)。
今岡稔「匹見の石塔2例について」(『戦国時代の殿屋敷遺跡』島根県匹見町教育委員会、1999年)。
間野大丞「益田平野の中世石造物」(田中義昭先生退官記念事業会編集・発行『田中義昭先生退官記念文集 地域に根ざして』1999年)。
益田市教育委員会編集・発行『市内遺跡発掘調査報告書1.』2003年。
古川久雄「石材からみた益田市の中世石造物」
内田伸「益田市における花崗岩製石造物について」
佐伯昌俊「石見地方西部」(『第7回中世葬送墓制研究会資料 山陰地域における中世墓終焉期の様相』中世葬送墓制研究会、2016年)。